吉見一起投手が引退会見

2020/11/5

今年をもちましてプロ野球生活を引退したいと思います。
いろいろな思いはありましたが引退ということを決めました。
15年間でしたが、いい思いもでき、苦しい思いもしましたが幸せな15年間だったと思います。
今までありがとうございました、お世話になりました。

引退に至った理由は
自分の立ち位置、1軍に上がれない葛藤、そういったものすべて客観的に見つめ直して、まだ現役をやりたい気持ちはありましたが、来年仮に続けたとしても同じことを繰り返すかなと自分の中で判断して、それであれば次の道へ早く進もうと思い決断しました。

誰かに相談はしましたか
妻と二人で1か月くらい相談して決めました、何度も今年だめだったら終わりと言っていたので、いつやめてもいいように、後悔しないようにやった方がいいと言われていました。
伝えたときには「わかった」と一言でした。長男も小学5年生、野球のことも理解してますし「そうなんだ」と言ってましたが、寂しそうな顔をしていたと思います。

引退をすることに悔いは
悔いはないです、ただ後悔はあります。
振り返ればたくさんありますが、もっと練習しておけばよかったとか、あの場面でなぜあれを選択したのかなとか、言えばきりがないですが、振り返れば、ああしておけばよかったなという後悔はあります。 あとはケガです、ケガをした時にそこでストップしておけばよかった。
多少無理をしても二桁勝ちたい、継続したいという気持ちがあった分無理をしてしまった。
ストップしていれば違う人生だったかもしれませんが、ただ、これも人生なのでそれは自分で受け入れています。

自信になった言葉は
僕が1軍で投げ始めた頃、誰とではなく一人一人からかけていただける言葉がありがたくて、その中で当時の森コーチ、谷繁さんから「お前がこの世界で生きて行く道はストライクゾーンの低めで勝負しないといけない、ゴロヒット、ゴロアウトはOK、フライアウト、フライヒットはお前の責任」と言われた。
自分ではそんなにコントロールがいいとは思わないですが、試合で120球投げても決まるのはほんの数球ですし。
コントロールで生きていこうと決めた中で、かけひきだったり、空気を読んだり、目に見えない対戦がある、それが上達したというか、自分のものになっていったのはコントロールを意識してからだと思います。

信条としてきたもの
コントロール、ゲームの空気を読む、18.44の中の空気を読むというのは、決して早いボールがあるわけでもなく、すごい変化球があるわけでもないので、そこはこだわってきました。
当時最高の仲間がいた、打ってくれる仲間、助けてくれる仲間、使ってくれる指導者、中でも大きいと感じるの谷繁さんの存在、野球を一から教えていただいた、質問にもしっかり教えていただける谷繁さんがいなかったら僕の白星はこんなになかったと思います。

今後のドラゴンズ投手陣に期待すること
ドラゴンズは強いです、今、本当に強くなっている段階だと思います。
勝ち方を知ればもっと勝てると思うし、もっと簡単に勝てると思います。
ただ勝つだけではなく僕が思うのは、もっともっと自分を知ってもらいたい、自分を知って何をしなくちゃいけないか、何をするべきかというものがわかれば、もっともっと成長できるので、いい所は続けて、余裕があれば自分を知るということに興味を持ってもらいたい。

どんなプロ野球生活でしたか
てっぺんも見れて、底辺も見れて本当に貴重な、ずっと活躍できることがいいのですが、両方見ることができたのは今後の人生に生きると思いますし、野球以外でも生きると思います。
15年が長いのか短いのかわかりませんが、入団した時にエース川上さんがいて、150キロ近く投げる投手がいて、えらい所に来てしまったというのがはじめの印象です、その中でよく15年もでき、90勝することもできていい野球人生だったと思います。

応援してくれたファンへ
いい時も、悪いときも温かい声援を送っていただきました。ファンがいないと、お客さんがいるのといないのとでは全然違います、ファンの皆さんの声援があって僕たちは100%以上の力を出せると思います。
温かい声援を送っていただいて本当にありがとうございました。