年表

  • 1930年代(昭和5年~)
  • 1940年代(昭和15年~)
  • 1950年代(昭和25年~)
  • 1960年代(昭和35年~)
  • 1970年代(昭和45年~)
  • 1980年代(昭和55年~)
  • 1990年代(平成2年~)
  • 2000年代(平成12年~)
  • 2010年代(平成22年~)

1930年代(昭和5年~)

ユニホーム 1937~1938 ユニホーム 1939~1940
1936年1月15日
大日本野球連盟名古屋協会(名古屋軍)創設
1936年4月29日
第1回日本職業野球連盟試合(プロ野球初の公式戦)が 甲子園球場で行われ名古屋軍は大東京と対戦し8-5で 勝利
洲崎球場に整列した名古屋ナイン

洲崎球場に整列した名古屋ナイン

1940年代(昭和15年~)

ユニホーム 1943~1944 ユニホーム 1948 ユニホーム 1949~1950
1942年5月24日
後楽園球場での大洋との試合は延長28回4-4で日没のため引き分け、西沢道夫と大洋の 野口二郎両投手は28回を完投
1942年7月18日
阪急戦(後楽園)で西沢道夫がノーヒットノーラン達成
1943年10月21日
石丸進一が大和戦(後楽園)でノーヒットノーラン達成
1944年
名古屋軍は産業軍へ改称
秋季連盟戦は戦局の不利にともない中止
1944年11月13日
日本野球報国会が試合の一時中止を表明
1945年11月23日
終戦の3か月後、日本野球連盟再建の第一歩として11月23日にプロ野球東西対抗試合が神宮球場で開催
大和戦でノーヒットノーランを達成した石丸進一

大和戦でノーヒットノーランを
達成した石丸進一

カーキ色のユニホームと戦闘帽スタイルの産業軍時代

カーキ色のユニホームと
戦闘帽スタイルの産業軍時代

1946年
プロ野球が8球団により再開、チーム名が産業軍から中部日本へ改称
1947年
中部日本新聞社、杉山虎之助社長の干支が辰年ということからチーム名がドラゴンズに決定、中日ドラゴンズへ改称
1949年
中日スタジアムが完成 公式戦通算500勝
中日球場完成。球場開きで始球式を投げる杉山虎之助・中部日本新聞社長

中日球場完成。球場開きで始球式を投げる
杉山虎之助・中部日本新聞社長

1950年代(昭和25年~)

ユニホーム 1952~1959
1950年
プロ野球が2リーグに分立、セントラル・リーグが巨人、阪神、中日、松竹、広島、西日本、大洋、国鉄の8球団、パシフィック・リーグが阪急、南海、東急、大映、西鉄、毎日、近鉄の7球団
中日-巨人6回戦。勝利を喜ぶ野口明捕手(左)と坪内道典助監督(5月14日、鳴海球場)

中日-巨人6回戦。
勝利を喜ぶ野口明捕手(左)と
坪内道典助監督(5月14日、鳴海球場)

1951年
球団名が中日ドラゴンズから名古屋ドラゴンズへ
杉下茂が川上哲治(巨人)、藤村富美男(阪神)、小鶴誠(松竹)と共に渡米、サンフランシスコ・シールズ(3A)のキャンプに参加
1951年8月19日
ホーム球場の中日球場(中日スタジアム)が火事で全焼
1952年4月5日
中日球場が新装完成、こけら落しは中日―巨人の1回戦
中日球場が全焼(8月19日、中日球場)

中日球場が全焼
(8月19日、中日球場)

1952年
西沢道夫が3割5分3厘、98打点で二冠王、杉山悟が27ホーマーで本塁打王、チームで三冠を独占
7か月ぶりに復興新装となった中日球場(中日スタヂアム)

7か月ぶりに復興新装となった中日球場
(中日スタヂアム)

名古屋ドラゴンズの巨砲、杉山悟(左)と西沢道夫。2人で3タイトル獲得

名古屋ドラゴンズの巨砲、杉山悟(左)と
西沢道夫。2人で3タイトル獲得

1953年6月25日
照明設備が完成し6月25日の広島戦で中日球場初ナイターが行われる
1954年
球団名を中日ドラゴンズへ改称
1954年10月19日
セントラル・リーグ初優勝。杉下茂は最高殊勲選手、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振投手に
1954年10月30日
中日―西鉄戦の日本シリーズが中日球場で開幕
ファン待望の照明完成。名古屋-広島戦でお目見えした(6月25日、中日球場[中日スタヂアム])

ファン待望の照明完成。
名古屋-広島戦でお目見えした
(6月25日、中日球場[中日スタヂアム])

最終戦後、リーグ優勝を祝って天知監督を胴上げ(10月26日、中日球場)

最終戦後、リーグ優勝を祝って
天知監督を胴上げ(10月26日、中日球場)

1954年11月7日
日本シリーズ第7戦、西鉄ライオンズを1-0で破り4勝3敗で日本一に
1954年 セントラル・リーグ優勝トロフィー(レプリカ)

1954年
セントラル・リーグ優勝トロフィー
(レプリカ)

日本シリーズ開会式。プラカードを先頭に入場するドラゴンズナイン(10月30日、中日球場)

日本シリーズ開会式。
プラカードを先頭に入場するドラゴンズナイン
(10月30日、中日球場)

日本シリーズ第7戦。晴れて日本一を手にして、僚友に抱かれ喜びの涙にむせぶ杉下茂投手[中央](11月7日、中日球場)

日本シリーズ第7戦。
晴れて日本一を手にして、僚友に抱かれ
喜びの涙にむせぶ杉下茂投手[中央]
(11月7日、中日球場)

1956年当時の打撃陣。左から原田督三、井上登、児玉利一、杉山悟、本多逸郎

1956年当時の打撃陣。
左から原田督三、井上登、児玉利一、
杉山悟、本多逸郎

1955年5月10日
杉下茂が国鉄戦(川崎球場)でノーヒットノーラン達成
1955年
公式戦通算1000勝
1957年
天知監督が3度目の就任
1957年10月12日
大矢根博臣が阪神戦でノーヒットノーラン達成
1958年
西沢道夫と服部受弘が引退、西沢の背番号「15」と服部の背番号「10」が永久欠番に
1959年
杉下茂が監督に就任し初年度は阪神と同率2位で終える
森徹が本塁打王と打点王、岡嶋博治が盗塁王に
4-3と阪神にリードされていた6回裏無死1塁に井上登をおいて森徹が左翼席へ逆転2ランホーマーを放ち、井上(51)、川崎啓之介(22)に迎えられて生還(9月27日、中日球場)

4-3と阪神にリードされていた6回裏無死1塁に井上登をおいて森徹が左翼席へ逆転2ランホーマーを放ち、井上(51)、川崎啓之介(22)に迎えられて生還
(9月27日、中日球場)

ピッチングマシンにボールを入れる杉下茂監督(2月9日)

ピッチングマシンにボールを入れる杉下茂監督(2月9日)

1960年代(昭和35年~)

ユニホーム 1960~1961 ユニホーム 1962 ユニホーム 1967~1968 ユニホーム 1968 ユニホーム 1969~1973
1960年
セ・パ2リーグに分裂して初のBクラスに
1961年
権藤博が入団、35勝19敗で最多勝、最優秀防御率、沢村賞、新人王を獲得
1962年
権藤博が30勝を挙げ2年連続で最多勝
中日-大洋13回戦。大洋打線を4安打に抑えた好投大矢根博臣投手をねぎらう吉沢岳男捕手と岡島博治三塁手(7月6日、中日球場)

中日-大洋13回戦。
大洋打線を4安打に抑えた
好投大矢根博臣投手をねぎらう
吉沢岳男捕手と岡島博治三塁手
(7月6日、中日球場)

1963年
公式戦通算1500勝
高木守道が盗塁王、柿本実が最優秀防御率投手に
中日-巨人5回戦。巨人打線を完封した権藤博(4月19日、中日球場)

中日-巨人5回戦。
巨人打線を完封した権藤博
(4月19日、中日球場)

けんか投法で鳴らした柿本実(1963年当時)

けんか投法で鳴らした柿本実
(1963年当時)

1964年8月18日
中山義朗(俊丈)が巨人戦(中日球場)でノーヒットノーラン達成
1964年
江藤慎一が王貞治との打ち合いに勝ち初の首位打者に
1965年
江藤慎一2年連続の首位打者に
1965年11月17日
プロ野球初の新人選択会議(ドラフト)が開催、豊永隆盛(八代一高)を1位指名
1966年8月2日
巨人戦で広野功が新人選手で初となる逆転満塁サヨナラ本塁打を放つ
中日-巨人22回戦。9回表、2死、打者須藤豊をショートフライに打ち取り、中山義朗(俊丈)投手ノーヒットノーラン達成(8月18日、中日球場)

中日-巨人22回戦。
9回表、2死、打者須藤豊をショートフライに
打ち取り、中山義朗(俊丈)投手
ノーヒットノーラン達成
(8月18日、中日球場)

闘志をみせる中日ドラゴンズの打線。右から高木守道、中暁生、マーシャル、江藤慎一、葛城隆雄、伊藤竜彦、法元英明(4月8日)

闘志をみせる中日ドラゴンズの打線。
右から高木守道、中暁生、マーシャル、
江藤慎一、葛城隆雄、伊藤竜彦、法元英明(4月8日)

1967年
中暁生(利夫)が初の首位打者、小川健太郎が29勝を挙げ最多勝と沢村賞を獲得
中日-巨人14回戦。9回裏、2死満塁、広野功は堀内恒夫から劇的な逆転満塁サヨナラホームランをバックスクリーン右に放つ(8月2日、中日球場)

中日-巨人14回戦。
9回裏、2死満塁、広野功は堀内恒夫から劇的な
逆転満塁サヨナラホームランをバックスクリーン右に放つ
(8月2日、中日球場)

中暁生の首位打者決定を祝って、応援団ののぼりがグラウンドに立った(10月17日)

中暁生の首位打者決定を祝って、
応援団ののぼりがグラウンドに立った
(10月17日)

1969年
中日のチームカラーを公募しブルーグレーに決定、帽子に角文字のCDがつく

1970年代(昭和45年~)

ユニホーム 1974~1980
1970年
谷沢健一が新人王
1971年
4年ぶりにAクラス入り2位でシーズンを終える
1972年日
新監督にコーチから昇格した与那嶺要が就任
“新人王おめでとう”、ファンの声援に応える谷沢健一(11月、愛知県豊田市・トヨタ自工球場で)

“新人王おめでとう”
ファンの声援に応える谷沢健一
(11月、愛知県豊田市・トヨタ自工球場で)

1974年
2位巨人とのゲーム差は1厘差、V9を阻止し20年ぶりのリーグ優勝。
星野仙一がセ・リーグ初のセーブ王と沢村賞を、松本幸行が最多勝と最優秀勝率の2冠、 藤波行雄が新人王を獲得した
日本シリーズはロッテと対戦も2勝4敗で敗退
“自分自身で考えた練習を…やる気のない選手はやめてもらう”とナインに訓示する与那嶺要新監督(10月、中日球場)

“自分自身で考えた練習を…
やる気のない選手はやめてもらう”
とナインに訓示する与那嶺要新監督
(10月、中日球場)

中日ドラゴンズ、セ・リーグ優勝。選手やファンに胴上げされニッコリの与那嶺要監督(10月12日、中日球場)

中日ドラゴンズ、セ・リーグ優勝。
選手やファンに胴上げされニッコリの
与那嶺要監督
(10月12日、中日球場)

1974年 セントラル・リーグ優勝トロフィー(レプリカ)

1974年
セントラル・リーグ優勝トロフィー
(レプリカ)

1975年7月26日
中日―広島戦(中日球場)2回表に照明灯が消えノーゲームに
1976年
中日球場が改装され名称もナゴヤ球場へ
鈴木孝政がセーブ王、最優秀防御率、谷沢健一がベストナイン、首位打者のタイトルを獲得、田尾安志が新人王に選ばれる
“来季は今年以上にガンバロウ”とベストナインに選ばれた谷沢健一(左)と固い握手をかわす新人王の田尾安志(11月3日、ナゴヤ球場)

“来季は今年以上にガンバロウ”と
ベストナインに選ばれた谷沢健一(左)と固い握手をかわす新人王の田尾安志
(11月3日、ナゴヤ球場)

1977年
大リーガーデービスを獲得、5月14日の巨人戦(ナゴヤ球場)で満塁ランニングホームランを放つ、 鈴木孝政が3年連続でセーブ王に
1978年4月5日
高木守道が広島戦(広島)で2000安打を達成
1979年
小松辰雄が5月31日の巨人戦(後楽園)で30イニング無失点を記録、 大島康徳が球団記録となる5試合連続本塁打を放つ
中日-阪神12回戦。デービスは2打席連続ホームランを放ち、100勝目を挙げた星野仙一投手と握手(7月8日、ナゴヤ球場)

中日-阪神12回戦。
デービスは2打席連続ホームランを放ち、
100勝目を挙げた星野仙一投手と握手
(7月8日、ナゴヤ球場)

広島-中日2回戦。高橋里志投手から通算2000本目の安打を放つ高木守道(4月5日、広島市民球場)

広島-中日2回戦。
高橋里志投手から通算2000本目の
安打を放つ高木守道
(4月5日、広島市民球場)

中日-広島26回戦。5回裏一死一塁で右翼へ、球団新の5試合連続の同点35号を放った大島康徳(右)は高木守道に迎えられてニッコリ(10月17日、ナゴヤ球場)

中日-広島26回戦。
5回裏一死一塁で右翼へ、球団新の
5試合連続の同点35号を放った大島康徳
(右)は高木守道に迎えられてニッコリ
(10月17日、ナゴヤ球場)

1980年代(昭和55年~)

ユニホーム 1981~1983 ユニホーム 1984~1986 ユニホーム 1987~1996
1980年
高木守道が現役を引退
1981年8月26日
巨人戦(後楽園)で山本功児の打球をショートの宇野勝がヘディング
1982年10月18日
横浜スタジアムで行われた大洋とのシーズン最終戦で8年ぶり3度目のリーグ優勝を決める。
首位打者を争う田尾安志は敬遠で1試合5四球のプロ野球タイ記録、MVPには中尾孝義が選ばれた
1982年
日本シリーズは西武と対戦、2勝4敗で敗れる。星野仙一、木俣達彦が引退を発表
中日-巨人24回戦。江川卓KO後の10回裏、角三男からサヨナラヒットを放った大島康徳に駆け寄り、手荒な祝福を浴びせるドラゴンズナイン(9月28日、ナゴヤ球場)

中日-巨人24回戦。
江川卓KO後の10回裏、角三男から
サヨナラヒットを放った大島康徳に
駆け寄り、手荒な祝福を浴びせる
ドラゴンズナイン(9月28日、ナゴヤ球場)

大洋との最終戦で優勝の瞬間、中尾と抱き合う小松(中)。右は正岡(10月18日、横浜球場)

大洋との最終戦で優勝の瞬間、
中尾と抱き合う小松(中)。
右は正岡(10月18日、横浜球場)

1982年 セントラル・リーグ優勝トロフィー(レプリカ)

1982年
セントラル・リーグ優勝トロフィー
(レプリカ)

1983年
大島康徳がシーズン36本塁打を放ち本塁打王に、中日で本塁打王のタイトルは1959年の森徹以来24年ぶり
1984年
前半戦を首位で折り返す、球団記録となる巨人戦14連勝も2位に終わる、牛島和彦がセーブ王、カムバック賞に鈴木孝政
阪神-中日26回戦。最終戦に初登板して幸運の勝利投手となった仁村徹投手(右)。好セーブの先輩牛島和彦と並んでニッコリ(10月5日、甲子園球場)

阪神-中日26回戦。
最終戦に初登板して幸運の勝利投手となった
仁村徹投手(右)。好セーブの先輩牛島和彦と並んでニッコリ(10月5日、甲子園球場)

1985年
小松辰雄が最多勝(17勝)、最優秀防御率、沢村賞、そして中日では権藤博以来24年ぶりの奪三振王(172個)のタイトルを獲得
1986年
大島康徳が中日では初となる300本塁打を達成
谷沢健一が引退を発表
ロッテ・落合博満と牛島和彦、桑田茂、平沼定晴、上川誠二4選手との4-1トレードを発表
ヤクルト-中日26回戦。小松は、最多勝、最優秀防御率、沢村賞など、投手部門のタイトルを独占、最高のシーズンになった(10月15日、神宮球場)

ヤクルト-中日26回戦。
小松は、最多勝、最優秀防御率、沢村賞など、
投手部門のタイトルを独占、最高のシーズンになった
(10月15日、神宮球場)

巨人-中日1回戦。4回裏右翼線二塁打で通算1500安打達成の大島康徳(4月16日、後楽園球場)

巨人-中日1回戦。
4回裏右翼線二塁打で通算
1500安打達成の大島康徳
(4月16日、後楽園球場)

1987年
ナゴヤ球場が全面改装、オープンデッキが新設
8月9日の巨人戦(ナゴヤ球場)で近藤真一(真市)が史上初のプロ初登板ノーヒットノーランを達成
ウエスタンリーグで中日が優勝、藤波行雄が引退を発表
新装なったナゴヤ球場

新装なったナゴヤ球場

中日-巨人19回戦。プロ入り初登板で力投する黄金ルーキー近藤真一、ノーヒットノーラン達成(8月9日、ナゴヤ球場)

中日-巨人19回戦。
プロ入り初登板で力投する黄金ルーキー近藤真一、
ノーヒットノーラン達成(8月9日、ナゴヤ球場)

1988年
オールスターゲームのファン投票で立浪和義がセ・リーグ初となる高卒ルーキートップ選出にトップ当選
10月7日のヤクルト戦で星野仙一監督就任2年目で6年ぶり4度目のリーグ優勝を決める、MVPは最優秀救援投手にも選ばれた郭源治、新人王には立浪和義
日本シリーズは西武と対戦も1勝4敗で敗れる
1989年
西本聖が4年ぶりの20勝をマーク、最多勝に
鈴木孝政が現役を引退
中日-ヤクルト25回戦。優勝決定。マウンドにかけ寄ったナインはうれしさのあまり倒れ込む(10月7日、ナゴヤ球場で)

中日-ヤクルト25回戦。優勝決定。
マウンドにかけ寄ったナインは
うれしさのあまり倒れ込む
(10月7日、ナゴヤ球場で)

1988年 セントラル・リーグ優勝トロフィー(レプリカ)

1988年
セントラル・リーグ優勝トロフィー
(レプリカ)

中日-阪神26回戦(最終戦)。完投で自己最多の20勝をマークした西本聖(10月11日、ナゴヤ球場)

中日-阪神26回戦(最終戦)。
完投で自己最多の20勝をマークした西本聖
(10月11日、ナゴヤ球場)

1990年代(平成2年~)

ユニホーム 1997~2001
1990年
落合博満が本塁打王、打点王のタイトルを獲得、史上初の両リーグ2冠を達成
与田剛が35セーブポイントを挙げ最優秀救援投手、そして新人王に選ばれる
巨人-中日22回戦。9回表、無死一、二塁、左越えに1500安打をメモリアル3ランで飾った落合博満(9月5日、東京ドーム)

巨人-中日22回戦。
9回表、無死一、二塁、左越えに1500安打を
メモリアル3ランで飾った落合博満
(9月5日、東京ドーム)

中日-大洋9回戦。7回途中から登板、快速球で大洋打線を抑え、単独トップの11セーブを挙げた与田剛(6月3日、ナゴヤ球場)

中日-大洋9回戦。
7回途中から登板、快速球で大洋打線を抑え、
単独トップの11セーブを挙げた与田剛
(6月3日、ナゴヤ球場)

1991年7月19日
巨人戦で中村武志が代打満塁ホームランとサヨナラホームランを放つ、8点差をひっくり返しての大逆転劇
1991年
森田幸一が新人王に
中日-巨人14回戦。10回裏中日一死、左翼へ13号サヨナラホーマーを放ち、ガッツポーズの中村武志(7月19日、ナゴヤ球場)

中日-巨人14回戦。
10回裏中日一死、左翼へ13号サヨナラホーマーを放ち、
ガッツポーズの中村武志(7月19日、ナゴヤ球場)

巨人-中日1回戦。7回から登板し巨人打線を迎え、勝利投手となった森田幸一(4月6日、東京ドーム)

巨人-中日1回戦。
7回から登板し巨人打線を迎え、
勝利投手となった森田幸一(4月6日、東京ドーム)

1992年
高木守道が監督に就任、元監督の坪内道典が野球殿堂入り
中日-大洋1回戦。開幕戦を白星で飾り、抑えの与田剛をで迎える高木守道監督(4月4日、ナゴヤ球場)

中日-大洋1回戦。開幕戦を白星で飾り、抑えの与田剛をで迎える高木守道監督
(4月4日、ナゴヤ球場)

1993年
今中慎二、山本昌広が17勝を挙げそろって最多勝に
中日-ヤクルト19回戦。力投する今中慎二(8月19日、ナゴヤ球場)

中日-ヤクルト19回戦。
力投する今中慎二(8月19日、ナゴヤ球場)

ヤクルト-中日12回戦。首位のヤクルト打線を相手に好投する山本昌広(6月20日、神宮球場)

ヤクルト-中日12回戦。
首位のヤクルト打線を相手に好投する
山本昌広(6月20日、神宮球場)

1994年9月21日
阪神戦で郭源治が100勝100セーブを達成
1994年10月8日
巨人と同率で最終を迎え、史上初の最終戦決戦3-6で敗れリーグ優勝を逃す
1994年
大豊泰昭が本塁打王、打点王の二冠に
小松辰雄が現役を引退
中日-巨人26回戦。最終決戦で一塁へヘッドスタイディングし、左肩を脱臼した立浪[左](10月8日、ナゴヤ球場)

中日-巨人26回戦。
最終決戦で一塁へヘッドスタイディングし、
左肩を脱臼した立浪[左]
(10月8日、ナゴヤ球場)

1995年
高木守道監督が6月で休養、徳武定祐が監督代行となるも7月で解任、島野育夫2軍監督が就任しシーズン終了まで指揮をとる
1996年
韓国の宣銅烈が入団
パウエルが3年連続首位打者、山崎武司が39本塁打を放ち本塁打王に
1996年8月11日
野口茂樹が巨人戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成
中日-阪神2回戦。8回表1死二、三塁のピンチから登板。後続をぴしゃりと抑えた宣銅烈(4月10日、ナゴヤ球場)

中日-阪神2回戦。
8回表1死二、三塁のピンチから登板。
後続をぴしゃりと抑えた宣銅烈
(4月10日、ナゴヤ球場)

巨人-中日19回戦。巨人打線を相手にノーヒットノーランを達成した野口茂樹(8月11日、東京ドーム)

巨人-中日19回戦。
巨人打線を相手にノーヒットノーランを
達成した野口茂樹
(8月11日、東京ドーム)

1996年10月6日
ナゴヤ球場での公式戦最終戦、1949年4月2日の中日-南海戦に始まり、フランチャイズ球場としての歴史に幕を閉じた
1997年
ナゴヤドームでの公式戦がスタート、4月4日の開幕戦で立浪和義がナゴヤドーム公式戦1号ホームランを放つ、8月22日の阪神戦ではサイクル安打も達成
チアドラゴンズが結成
山本昌広が18勝を挙げ最多勝、最多奪三振のタイトル
中日-横浜1回戦。1回裏、中日先頭打者の立浪和義はドーム初アーチを右翼へ放つ(4月4日、ナゴヤドーム)

中日-横浜1回戦。
1回裏、中日先頭打者の立浪和義は
ドーム初アーチを右翼へ放つ
(4月4日、ナゴヤドーム)

1998年5月22日
ヤクルト戦(神宮)で勝利し、星野監督がドラゴンズでは初となる監督就任500勝を達成
1998年7月22日
ナゴヤドームで初のオールスターゲームが開催
1998年
川上憲伸が14勝を挙げ新人王
中日-阪神3回戦。開幕6戦目でプロ初先発。阪神打線を抑え初勝利した川上憲伸(4月9日、ナゴヤドーム)

中日-阪神3回戦。
開幕6戦目でプロ初先発。
阪神打線を抑え初勝利した川上憲伸
(4月9日、ナゴヤドーム)

1999年
開幕11連勝のプロ野球タイ記録
1999年9月26日
阪神戦(ナゴヤドーム)で山崎武司が9回裏1死一、二塁、レフトスタンドへ逆転サヨナラ3ラン
1999年9月30日
ヤクルト戦(神宮)に勝ち11年ぶり5度目のリーグ優勝、日本シリーズはダイエーホークスと対戦し1勝4敗で敗退
中日-阪神25回戦。9回裏1死一、二塁、山崎武司は左スタンドへ逆転のサヨナラ28号3ランホーマーを放ち、ガッツポーズ(9月26日、ナゴヤドーム)

中日-阪神25回戦。
9回裏1死一、二塁、山崎武司は
左スタンドへ逆転のサヨナラ28号3ラン
ホーマーを放ち、ガッツポーズ
(9月26日、ナゴヤドーム)

2000年代(平成12年~)

ユニホーム 2002~2003 ユニホーム 2004~2005 ユニホーム 2006~2011
2000年7月24日
シドニー五輪の日本代表に鈴木郁洋が選出
2000年9月12日
東海豪雨でナゴヤドームが浸水、広島戦が中止に
2000年
種田仁が代打で11試合連続出塁の日本記録、カムバック賞にも選出される
2001年5月24日
野口茂樹が阪神戦(金沢)で16奪三振のセ・リーグタイ記録
2001年6月26日
札幌ドームこけら落としの巨人-中日で、先頭打者の福留孝介がドーム1号本塁打を放つ
種田仁が代打で11試合連続出塁の日本記録を達成

種田仁が代打で11試合連続出塁の
日本記録を達成

中日-阪神10回戦。16奪三振のセ・リーグタイ記録で、阪神打線を完封し、ナインに迎えられる笑顔の野口茂樹(5月24日、石川県立野球場)

中日-阪神10回戦。
16奪三振のセ・リーグタイ記録で、
阪神打線を完封し、ナインに迎えられる
笑顔の野口茂樹
(5月24日、石川県立野球場)

2001年
野口茂樹が最優秀防御率、最多奪三振の二冠
星野仙一監督が退任し山田久志が監督に就任
2001年12月24日
FA宣言をしていた谷繁元信の入団を発表
2002年4月14日
巨人戦(東京ドーム)に勝利し球団通算4000勝
2002年8月1日
巨人戦(東京ドーム)で川上憲伸がノーヒットノーラン達成
2002年9月21日
横浜戦(ナゴヤドーム)で井端弘和がサイクル安打を達成
2002年
福留孝介が松井秀喜とのタイトル争いを制し首位打者に
大豊泰昭が引退
2003年6月8日
広島戦(ナゴヤドーム)で福留孝介がサイクル安打を達成
ナゴヤドーム最終戦を終え、ファンの声援に笑顔で手をふる星野監督(10月2日、ナゴヤドーム)

ナゴヤドーム最終戦を終え、
ファンの声援に笑顔で手をふる星野監督
(10月2日、ナゴヤドーム)

巨人-中日20回戦。ノーヒットノーランを達成し、ジャンプして喜ぶ川上憲伸(8月1日、東京ドーム)

巨人-中日20回戦。
ノーヒットノーランを達成し、
ジャンプして喜ぶ川上憲伸
(8月1日、東京ドーム)

中日-横浜25回戦。7回裏無死、右中間へ三塁打を放つ井端弘和(9月21日、ナゴヤドーム)

中日-横浜25回戦。
7回裏無死、右中間へ三塁打を
放つ井端弘和
(9月21日、ナゴヤドーム)

2003年7月5日
巨人戦(東京ドーム)で立浪和義が2000安打を達成、また三塁のポジションでゴールデングラブ賞を獲得、遊撃、二塁に次いで3ポジション目の受賞
中日-広島14回戦。2回裏1死満塁、福留孝介は右中間スタンドへ13号の満塁ホームラン。この日サイクル安打を達成した(6月8日、ナゴヤドーム)

中日-広島14回戦。
2回裏1死満塁、福留孝介は右中間スタンドへ
13号の満塁ホームラン。この日サイクル安打を達成した
(6月8日、ナゴヤドーム)

巨人-中日16回戦。8回表、中日無死一、二塁、右前に通算2000本目となる安打を放つ立浪和義(7月5日、東京ドーム)

巨人-中日16回戦。
8回表、中日無死一、二塁、右前に
通算2000本目となる安打を放つ立浪和義
(7月5日、東京ドーム)

2004年
落合博満が監督に就任
オリックスと近鉄の合併問題にからみプロ野球史上初のストライキ、中日は巨人戦の2試合が中止に
2004年4月2日
3年間登板のなかった川崎憲次郎が開幕投手に
中日-阪神4回戦。荒木雅博[左]からのボールを併殺プレーで一塁へ送球する井端弘和(4月20日、ナゴヤドーム)

中日-阪神4回戦。
荒木雅博[左]からのボールを
併殺プレーで一塁へ送球する
井端弘和(4月20日、ナゴヤドーム)

2004年10月1日
5年ぶり6度目のリーグ優勝、日本シリーズは西武と対戦し3勝4敗で50年ぶりの日本一とはならず
日本シリーズ第3戦。7回裏、1死二塁、代打・石井義人の時、落合監督[66]はマウンドに行ったものの、岡本真也[左から2人目]を続投。この後逆転を許す(10月19日、西武ドーム)

日本シリーズ第3戦。
7回裏、1死二塁、代打・石井義人の時、
落合監督[66]はマウンドに行ったものの、
岡本真也[左から2人目]を続投。
この後逆転を許す(10月19日、西武ドーム)

2004年 セントラル・リーグ優勝クリスタル

2004年
セントラル・リーグ優勝クリスタル

2005年4月1日
セ・リーグ開幕戦でアレックスがセ初の開幕サヨナラ満塁本塁打
2005年4月2日
開幕2戦目も高橋光信が代打逆転サヨナラ弾、中日史上初の開幕連続サヨナラ勝利
2006年
8月に球団史上最速でマジック40を点灯
2006年9月16日
阪神戦では山本昌が史上最年長でのノーヒットノーランを達成
中日-横浜1回戦。9回裏無死満塁、サヨナラ満塁弾を放ったアレックス[4]を総出で迎える中日ナイン(4月1日、ナゴヤドーム)

中日-横浜1回戦。
9回裏無死満塁、サヨナラ満塁弾を放った
アレックス[4]を総出で迎える中日ナイン
(4月1日、ナゴヤドーム)

2006年10月10日
セ・リーグ5球団すべてに勝ち越し、2年ぶり7度目のリーグ優勝、川上憲伸が最多勝、最多奪三振、岩瀬仁紀が最多セーブ、福留孝介が首位打者、MVP、タイロン・ウッズが本塁打王と打点王のタイトルを獲得する。日本シリーズは日本ハムファイターズと対戦も1勝4敗で敗れる
阪神戦でノーヒットノーランを達成し、9勝目を飾った中日の山本昌(9月16日、ナゴヤドーム)

阪神戦でノーヒットノーランを達成し、
9勝目を飾った中日の山本昌
(9月16日、ナゴヤドーム)

2年ぶりのリーグ優勝を決め、歓喜のナインに胴上げされる落合監督(10月10日、東京ドーム)

2年ぶりのリーグ優勝を決め、
歓喜のナインに胴上げされる落合監督
(10月10日、東京ドーム)

2006年 セントラル・リーグ優勝クリスタル

2006年
セントラル・リーグ優勝クリスタル

2007年
リーグ成績は2位に終わるも、この年から導入されたセ・リーグで初のプレーオフとなる「クライマックスシリーズ」で、第1ステージは3位の阪神と対戦し2連勝、第2ステージは1位の巨人と対戦し3連勝、5連勝で2年連続の日本シリーズ出場を決める。日本シリーズは2年連続で日本ハムと対戦し、第5戦で山井大介と岩瀬仁紀の継投による完全試合で対戦成績を4勝1敗とし、53年ぶり2度目の日本一を達成
日本シリーズ出場を決め、マウンドで抱き合う岩瀬と谷繁(10月20日、東京ドーム)

日本シリーズ出場を決め、
マウンドで抱き合う岩瀬と谷繁
(10月20日、東京ドーム)

日本ハムを破って、53年ぶりに日本一を奪回、グラウンドで抱き合って喜ぶ中日ドラゴンズナイン(ナゴヤドーム)

日本ハムを破って、53年ぶりに日本一を奪回、
グラウンドで抱き合って喜ぶ中日ドラゴンズナイン
(ナゴヤドーム)

2007年 アジアシリーズ優勝クリスタル

2007年
アジアシリーズ優勝クリスタル

2008年
FA宣言した和田一浩が入団
山本昌が8月4日の巨人戦で200勝を達成
リーグ3位となり、クライマックスシリーズの出場権を得る第1ステージは阪神を2勝1敗で破るも、第2ステージは巨人に1勝3敗1引分けで敗退
200勝の記念エンブレムを手に笑顔の山本昌(ナゴヤドーム)

200勝の記念エンブレムを手に
笑顔の山本昌(ナゴヤドーム)

2009年5月12日
長良川球場で行われたヤクルト戦で岩瀬仁紀が200セーブを達成
2009年9月16日
トニ・ブランコが本塁打王と打点王の二冠に
雄太が球団新記録の開幕11連勝を達成
引退を表明していた立浪和義、本拠地最終戦となった9月30日の試合で6番一塁でフル出場、ファンが見守る中3安打を放つ、試合後には引退セレモニーが行われた
球団新記録の開幕11連勝を達成した雄太(写真は当時のもの)

球団新記録の開幕11連勝を達成した雄太(写真は当時のもの)

この年初スタメンで本拠地最終戦にフル出場した立浪和義

この年初スタメンで本拠地最終戦に
フル出場した立浪和義

試合後に引退セレモニーが行われ、ファンに手を振る立浪(ナゴヤドーム)

試合後に引退セレモニーが行われ、
ファンに手を振る立浪(ナゴヤドーム)

2010年代(平成22年~)

ユニホーム 2012~2013 ※優勝エンブレムは2012年のみ ユニホーム 2014~
2010年6月16日
岩瀬仁紀が日本ハム戦で250セーブを達成
2010年
ナゴヤドームでは圧倒的な強さを見せ4年ぶり8度目のリーグ優勝、37本塁打を放った和田一浩がMVPに
クライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズではロッテと対戦、第6戦は延長15回の末2-2で引き分け。第7戦も延長戦になり7対8で逆転負け、2勝4敗1分で敗れる
2010年 セントラル・リーグ優勝クリスタル

2010年 セントラル・リーグ優勝クリスタル

2010年 クライマックス・シリーズ優勝シャーレ

2010年 クライマックス・シリーズ優勝シャーレ

優勝トロフィーを手に笑顔をみせる谷繁と和田

優勝トロフィーを手に
笑顔をみせる谷繁と和田

2010年 優勝

2010年 優勝

最優秀選手賞(MVP)を受賞した和田一浩

最優秀選手賞(MVP)を
受賞した和田一浩

2011年6月16日
岩瀬仁紀がソフトバンク戦(ナゴヤドーム)でNPB新記録の287セーブを達成
2011年
球団史上初の2年連続セ・リーグ優勝を達成
浅尾拓也がセ・リーグMVPを獲得
ヤクルトとのクライマックスシリーズを制し日本シリーズ出場を決めソフトバンクと対戦、第7戦まで試合を行い3勝4敗で敗戦
オフには山崎武司、川上憲伸がそれぞれ中日に復帰
プロ野球新記録となる287セーブを達成した岩瀬

プロ野球新記録となる
287セーブを達成した岩瀬

セ・リーグ優勝を決め抱き合う浅尾と谷繁

セ・リーグ優勝を決め抱き合う
浅尾と谷繁

2011年 優勝

2011年 優勝

2011年 セントラル・リーグ優勝クリスタル

2011年
セントラル・リーグ優勝クリスタル

2012年4月30日
山本昌がDeNA戦(ナゴヤドーム)で球団最多212勝を挙げた
2012年
シーズン2位に終わり、ヤクルトとのクライマックスシリーズのファーストステージを2勝1敗で突破するも、巨人とのファイナルステージでは3連勝の後3連敗で敗退
球団新記録の212勝を挙げた山本昌(ナゴヤドーム)

球団新記録の212勝を挙げた山本昌
(ナゴヤドーム)

ノーヒットノーランを達成した山井(横浜スタジアム)

ノーヒットノーランを達成した山井
(横浜スタジアム)

2013年5月6日
ヤクルト戦(神宮)で谷繁元信がプロ野球44人目、捕手では3人目となる2000安打を達成
2013年
山井大介が6月28日のDeNA戦(横浜)でノーヒットノーラン達成
2001年以来12年ぶりのBクラスが決定、初めてクライマックスシリーズ出場を逃す
谷繁元信が選手兼任監督として就任、また球団初のゼネラルマネージャーに前監督の落合博満が就任
2014年7月26日
巨人戦で岩瀬仁紀が通算400セーブを達成
2014年
山本昌が9月5日の阪神戦(ナゴヤドーム)に先発として登板、5回を無失点で勝利投手となり日本プロ野球史上最年長試合出場記録(48歳10か月)と史上最年長勝利投手記録(48歳4か月)などの最年長記録を更新した
日本プロ野球史上最年長試合出場記録と史上最年長勝利投手記録などの最年長記録を更新した山本昌

日本プロ野球史上最年長試合出場記録と史上最年長勝利投手記録などの
最年長記録を更新した山本昌

花束を掲げる山本昌

山本昌

2015年4月15日
阪神戦(ナゴヤドーム)で球団新記録となる3試合連続サヨナラ勝利
2015年6月9日
千葉ロッテ戦(QVCマリン)で球団創設から通算5000勝を達成
2015年6月11日
千葉ロッテ戦(QVCマリン)で和田一浩が2000安打を達成
2000安打を達成した和田(QVCマリンフィールド)

2000安打を達成した和田(QVCマリンフィールド)

和田(QVCマリンフィールド)

和田(QVCマリンフィールド)

2015年7月28日
阪神戦(ナゴヤドーム)で谷繁監督兼選手が日本記録となる通算3018試合出場を決める
2015年
谷繁元信、山本昌、朝倉健太、小笠原道大、和田一浩が引退を発表
日本記録となる通算3018試合出場を達成した谷繁(ナゴヤドーム)

日本記録となる通算3018試合出場を
達成した谷繁(ナゴヤドーム)

10月7日、チーム最終戦の広島戦でラスト登板となった山本昌(マツダスタジアム)

チーム最終戦の広島戦でラスト登板となった
山本昌(10月7日、マツダスタジアム)

山本昌

山本昌
(10月7日、マツダスタジアム)

山本昌

山本昌
(10月7日、マツダスタジアム)

2016年4月9日
巨人戦(ナゴヤドーム)で荒木雅博が2000試合出場を達成、また8月6日のDeNA戦(横浜)では高木守道の記録を抜き、球団新記録となる370盗塁を達成
2016年5月21日
巨人戦(ナゴヤドーム)で田島慎二が開幕27試合連続無失点の日本記録を達成すると、その後も記録を伸ばし6月5日の楽天戦(ナゴヤドーム)で球団タイ記録の31試合連続無失点を記録
2016年7月20日
大島洋平は、広島戦(マツダ)の第1打席で本塁打を放つと、二塁打、三塁打、シングルの順でヒットを放ちプロ野球史上64人目(68度目)、セ・リーグでは32人目(34度目)のサイクル安打を達成
2016年9月4日
小笠原慎之介は巨人戦(東京ドーム)に先発し7回を3失点、10三振を奪う投球を見せ、12試合目の登板でプロ初勝利。ドラフト制以降高卒ルーキーの勝利は1989年の今中慎二以来27年ぶり7人目、また高卒ルーキーが巨人戦初登板で勝利したのは1987年の近藤真一以来29年ぶり2人目
2016年
58勝82敗3分、ドーム元年の1997年以来19年ぶりの最下位に
球団タイ記録となる31試合連続無失点を達成した田島

球団タイ記録となる
31試合連続無失点を
達成した田島

プロ野球史上64人目のサイクル安打を達成した大島

プロ野球史上64人目の
サイクル安打を達成した大島

球団新記録となる370盗塁を達成した荒木

球団新記録となる370盗塁を達成した荒木

プロ初勝利を挙げた小笠原

プロ初勝利を挙げた小笠原