森野将彦選手 引退セレモニー

2017/9/24

9月21日に引退を発表した森野将彦選手が9月24日、引退試合となった今季本拠地最終戦の広島戦に7回裏無死一塁、代打で出場しました。
ネクストからバッターボックスへゆっくりと向かう森野選手、「バッター森野」がコールされるともの凄い歓声がドーム内に響き渡ります。
現役最後の打席は広島・九里投手と対決しファーストゴロに、代走の荒木選手が一塁へ向かうと笑顔でがっちり握手を交わします。
そして藤井選手と広島、田中選手から花束を受け取り、スタンドからの森野コールに手を挙げて応えました。

「バッター森野」がコールされドーム内に歓声が響きます

最後の打席はファーストゴロに

代走の荒木選手が一塁へ向い、笑顔で握手を交わします

藤井選手から花束を受け取ります

ファンの声援に頭を下げ応える森野選手

森野選手は96年、ドラフト2位指名を受け東海大相模高校から中日ドラゴンズへ入団、ルーキーイヤーの97年、8番ショートで初のスタメン出場となった8月29日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で本塁打を放ち、プロ初安打が本塁打となります。
遊撃手として入団するも、やったことがないのは投手と捕手のみ、内外野とも全てのポジションを守るユーティリティプレイヤーとして活躍。また打では07年に18本塁打を放ち、そのうちの8本が3ランホームランとなり「ミスター3ラン」と呼ばれるきっかけになりました。

主に三塁手として出場するようになってからは2009年に自身初の全試合出場を果たし、2010年は自己最高となる打率3割2分7厘を記録、選手会長としてもチームを牽引しリーグ優勝に貢献、三塁手のベストナインにも選出されました。
2011年からは一塁を守る機会が多くなり、2014年に一塁手として初のゴールデングラブ賞を獲得、2015年には1500安打を達成します。

試合前、選手スタッフらが背番号「7」のTシャツをきて練習を行いました

荒木選手と守備練習を行う森野選手

勝負強い打撃でチームを支え、4度のリーグ優勝と1度の日本一に貢献した森野選手、試合後に行われたセレモニーでこれまでお世話になった指導者を始め、監督、コーチ、トレーナー、先輩、後輩、同級生などへ感謝を伝え「21年間という野球人生に幕を下ろす時が来ました。声援を送ってくれたファンの方々、僕が打てないときにそれでも応援してくれたドラゴンズファン、本当にお世話になりました。今、ドラゴンズは苦しい中にいます。でもこのファンの方々がいる選手は幸せだと思います。もっともっとやってくれるはずです。
僕も期待してユニホームを脱ぐわけですが、何とか僕の意志を、今ユニホームを着ている選手たちに優勝目指してやってもらいたいと思います。
最後にはなりますが、この背中を最後まで押してくれたファンの皆さま、本当にありがとうございました。」と最後のあいさつを行い、ドラゴンズ一筋21年の現役生活にピリオドを打ちました。

1996.12.17 入団発表=名古屋市中区の中日パレス

1997.8.29 ヤクルト戦 3回裏無死、プロ初スタメンの森野将彦は、右スタンドへ同点のソロホームランを放つ

2005.10.30 秋季キャンプのノックの途中、頭に水をかけられる=沖縄・北谷球場

2006.2.13 連日の激しい特守を受ける森野

2007.8.3 横浜戦 2回表2死一、三塁、右翼ポール際に3ランを放つ=横浜スタジアム

2009.9.28 巨人戦 シーズン自己最多の23号本塁打を放つ、この年は打点も自己最多の109打点を記録

三塁手のベストナインに選出

2010.6.5 ロッテ戦 1000試合出場

2010.10.2 ヤクルト戦 最終戦で4打数3安打、自己最高打率の.327を記録

選手会長としてチームを牽引、リーグ優勝にも貢献した

2011.4.16 阪神戦 1000安打を達成

2012.5.30 オリックス戦 初のサヨナラ本塁打

同級生の山井投手とお立ち台に

一塁手でのゴールデングラブ賞を受賞

2015.6.27 広島戦 3回表2死、プロ入り通算1500安打を達成し花束を掲げる=マツダスタジアム

「21年間、このプロ野球生活、無事に最後の日を迎えることができました。今は本当に晴れ晴れした気持ちです。高校の時ドラフト指名をいただいて、まだ子どもだった僕が少し大人になって野球を終えられたことが、自分の人生で成長できた証かなと思います。本当にありがとうございました。

もう少ししんみり、寂しい気持ちが出てくるのかなと思ったのですが、今はやりきったという感じがします。
最後の打席で声援を受けて、今まではこれが当たり前だと思っていましたが、改めてその歓声を聞いた時に、この世界は素晴らしいんだなと思いました。
無死一塁の緊迫した場面で打席に立って、真剣勝負だからこそ変化球に手が出てしまった、そういう意味ではこの世界で最後まで真剣勝負ができたことによかったなと思います。結果としては微妙ですが、バットが振れて最後まで、ファーストまで走れたってことが一番でしたね。

バッティングに自信があるという気持ちでプロに入って、最初の10年はその自信でレギュラーがとれなかった、落合監督になって自信というか、邪魔したものを全部破られて、練習であり、言葉であり、そのおかげでレギュラーをとることができました。そういう野球人生で、自分の納得のいかないバッティングがここ2、3年続いたのでやめようかなと、僕自身はここが限界、本当に悔いがないので、やりきったかなと思います。

リーグ優勝、そして日本一になったことがいい思い出です、勝つということの素晴らしさ、ここ5年はBクラスで負けたからこそあの時は良かったんだなと、プロ野球選手は勝って輝くんだなと思いました。
僕の場合は本当に底辺から、叩き上げて叩き上げて、本当にその時の指導者の方にお世話になって、やっとレギュラーを掴んで、チームに頼られる選手になり、最後を迎えられたことに、本当に幸せな野球人生だったかなと思います。

21年間打てない中でも期待をしてくれて、声援を送ってくれたファンに本当に感謝をしたい、応援をしてくれた方がいてくれたからこそ、ここまで現役でやってこられたと思います。いろんな人に支えられてここまでこれたんだと思っています。本当に心から感謝の言葉を、ありがとうございましたと言いたいです」