浅尾拓也投手 引退セレモニー
9月26日に現役引退を発表した浅尾拓也投手のラスト登板が9月29日の阪神戦で行われました。
浅尾投手は9回表無死の場面から登板、マウンドで待つ森監督からボールを受け取ります。
阪神・中谷選手と対戦、最後の登板を三振で締めくくると、今度は昨日1000試合登板を達成した岩瀬投手がマウンドへ、岩瀬投手は1001試合登板を達成、かつての浅尾ー岩瀬への黄金リレーが再現されました。
試合前、阪神・福留選手と談笑する浅尾投手
41のボードか掲げられる中、浅尾投手が最後のマウンドへ
9回表に登板、阪神・中谷選手と対戦
三振にとり、投球を終えた浅尾投手
マウンドに森監督、岩瀬投手が向かい握手を交わします
吉見投手から花束を受け取り笑顔
まずこの引退セレモニーをひらいていただいた中日ドラゴンズ球団関係者、ナゴヤドーム関係者、本当にありがとうございます。
12年間、中日ドラゴンズの方でお世話になり、監督、コーチ、チームスタッフ、本当に助けられました。
家族、親戚、友人、本当に辛い時、いつも味方でいてくれました。ありがとうございます。
かっこいい大好きな先輩方、心の拠り所の同級生、弟みたいにかわいい後輩たち、本当にドラゴンズの選手はファンの方々と一緒に戦っていると思います。
今日、引退試合の登板をした時にすごい声援で、辛かった時期が多かったのですが、本当に野球やってて良かったなと思いました。ありがとうございました。
阪神ファンの皆さま、ありがとうございました。
初登板も、最終登板も阪神でした。
今日対戦してくれた中谷君が全力で勝負してくれたこと、本当に選手として嬉しかったです。
ありがとうございましたとお伝えください。
12年間でしたが、たくさん応援していただきありがとうございました。
これからもドラゴンズをずっと応援し続けたいと思います。
ありがとうございました。
ナインから胴上げされる浅尾投手
ファンの声援に手を振って応えます
浅尾投手は06年のドラフト会議で大学生・社会人ドラフトの3巡目指名を受け日本福祉大からドラゴンズへ入団、1年目の07年4月10日の阪神戦(甲子園)で中継ぎとしてプロ初登板、4月24日の広島戦(ナゴヤドーム)でプロ初勝利を挙げます。
08年の開幕は二軍スタートでしたが6月に一軍へ合流すると8月7日の東京ヤクルト戦(松山)でプロ初セーブ、この年から岩瀬投手へつなぐセットアッパーとして活躍を見せます。
09年は初の開幕投手を任され8回を投げ5安打1失点の好投で勝利投手に、開幕投手という大役を果たしますが、再度セットアッパーのポジションへ戻り、7月にはセ・リーグ新記録の月間11ホールドを挙げ初の月間MVPを獲得、チーム最多の67試合に登板しセットアッパーの地位を確固たるものにしていきます。
そして10年には権藤博氏の記録を抜き、球団新記録となるシーズン72試合に登板すると、25試合連続ホールドポイント、シーズン59ホールドポイント、シーズン47ホールドと次々とプロ野球新記録を達成、その年の最優秀中継ぎ投手賞を受賞、11年も79試合に登板し自身が持つ最多登板の記録を更新、45ホールドを挙げ球団初のセ・リーグ連覇に貢献、2年連続で最優秀中継ぎ投手賞、そしてセ・リーグの最優秀選手賞を受賞します。
しかし12年からはケガなどの影響もあり登板数が減り、16年にはプロ入り後初となる一軍登板なしというシーズンになってしまいます。17年10月1日の東京ヤクルト戦(神宮)でセ・リーグ史上二人目となる200ホールドを達成し、復帰かと思われた矢先の引退発表、勝利の方程式の一角を担い、球団初の連覇に貢献した右腕が12年の現役生活に終わりを告げました。
ドラフト3位指名で入団、ルーキーたちと活躍を誓う
4月10日(阪神戦)7回裏にプロ入り初登板となり力投する
4月21日(東京ヤクルト戦)四番手として5回途中から登板し初ホールド
4月24日(広島戦)プロ入り初勝利となり、サヨナラを決めた英智選手とともにお立ち台に
5月9日(広島戦)2回表1死、左中間三塁打を放ち三塁に滑り込む
5月9日(広島戦)プロ初先発で勝利を挙げる
8月7日(東京ヤクルト戦)初セーブを挙げ、谷繁選手と握手を交わす
4月3日(横浜戦)8回を投げ5安打1失点の好投で今季初勝利を挙げ、開幕投手という大役を果たす
フィールディングやけん制、守備でもファンを魅了した
7月度の日本生命月間MVP賞を受賞
9月5日(巨人戦)21試合連続ホールドポイント
9月12日(横浜戦)シーズン56ホールドポイント
9月22日(阪神戦)シーズン70試合登板
10月2日(東京ヤクルト戦)シーズン72試合登板
10月21日 クライマックスシリーズファイナルステージの対巨人第2戦、先発吉見投手、中継ぎの高橋投手、最後を締めた浅尾投手の完封リレーで勝利
4年ぶり8度目のリーグ優勝の大きな原動力となった
10月11日(東京ヤクルト戦)シーズン45ホールド
10月18日(横浜戦)8回裏2死から登板し胴上げ投手となり、球団史上初の連覇に貢献
2年連続2度目の最優秀中継ぎ投手を獲得
入団5年目でセ・リーグ最優秀選手賞を初受賞、史上初となる最優秀中継ぎ投手賞とのダブル受賞
4月10日(巨人戦)通算142ホールドを記録し、当時のプロ野球記録を更新
この年、29試合に登板数が減り、苦しいシーズンとなってしまう
初めて1軍登板なしのシーズンとなる
10月1日(東京ヤクルト戦)通算200ホールドを達成