Q 24人目の200勝、入団したときはどんな夢を描いていたのですか?
もともとは学校の先生になりたかった。プロに指名されて入団したが、3、4年やってクビになったら、もう一度大学で勉強するつもりだった。200勝なんてとても頭になかった。
Q 昨年足踏みした時、200勝は無理だ、と思わなかったか?
考えないようにしていた。今年のシーズンに入る前、ダメなら仕方ないと思っていた。ただ、悔いのないように一生懸命練習したので、大丈夫と思うようにしていた。
Q 長い野球人生で、試練が多くあったと思うが、乗り越えられた、最大の要因は?
好きで始めた野球、自分で決めた野球人生。苦しい場面もあったが、すべてを含めて野球は苦しいのは当然。だから勝った時の喜びは格別。それを味わいたくて。周りからは大変と思われるかもしれないが、勝つためにやることは苦労じゃないです。
Q 「心」のコントロールはどのようにしてきましたか?
これだけやってきたんだ、と自信を持って打者に対するしかなかった。やってきたことに自信をもつこと。手抜きは絶対にいかん!!
Q 200勝目前で、まずチームの勝利といっていた。謙虚で大人だと思ったが、どうしてそんな心境になれるのですか?
チームが勝つということは先発がしっかりして、ある程度のピッチングができていること。試合を作っていれば勝ち星もつく。負けたとしても次にチャンスがもらえるからね。
Q 200勝とプロ初勝利、どちらがうれしいか。ノーヒットノーランは?
どちらもうれしいが初勝利はやはり特別な気持ちがある。ノーヒットノーランはそれほどでもないが、あの時は優勝争いしていたので満足感は強い。
Q 自分へのご褒美は?
今はシーズン中なのでオフになれば考えたいですね。車が好きなので、車になるのかなぁ。
Q コントロールをよくする特別な方法はあるのですか?
小さい時からボール投げが好きで、カベに丸を書いて、それに向かってピッチングしていた。高校時代はコントロールはまあまあ。プロで勝ち出してからストライクが先行するようになった。
Q 舌を出して投げていますが、僕は舌を出してもうまく投球できません。
僕は出しているつもりはないのだけど、あれはクセです。絶対にマネはしないほうがいいよ。
Q 40歳くらいから球が速くなっていますが、どうして?
昔は134キロくらいだったが、今は140キロ近くになった。鳥取のトレーニングセンターで、小山先生から動作解析のアドバイスをもらってやってきたことが、よかったのだと思います。
Q 一番に印象に残る1勝は?
89年の初勝利です。前の年に5連勝して、さあヤルゾと意気込んでいたが89年は開幕から2か月勝てなかった。巨人戦で1-0の完封をして初めてやっていけると確信した。通算6勝目が印象に残る1勝でした。
Q 一番苦しかったときは。
ヒザを悪くした95年ですね。12試合しか投げられず、2勝しかできませんでした。
Q イヤな打者、好きな打者、怖い打者は誰ですか?
ヤクルトの古田君、どんな球でも打たれましたね。阪神の桧山君、巨人の清水君、僕は得意じゃなかったんですが相手が打てない、清水君には5年間くらい打たれなかった。怖いと言うか、イヤだったのは前田君(広島)外角の会心の1球を完ペキにホームランされた。
Q 昔と今と一番変わったところは?
投手も打者もレベルが上がっている、野球のレベルも当然上がっている。
Q ターニングポイントとなった出来事は?
アメリカ留学です。アイク生原さんが作ってくれた200投手ですから。いろいろな人と出会って、いろいろな人に助けてもらいました。アイクさんとの思い出は、二人で一緒に戦ったことです。登板が近づくとアイクさんも眠れなくなるんです。一心同体でしたね。
Q メジャーでやりたいと思ったことは?
ないです。日本でこれだけ応援してくれて、中日ドラゴンズというすばらしいチームでキャリアをまっとうしたい。FA権を取ったが外へ出ることは考えなかった。井の中のカワズと言われるかもしれませんが。
Q 長くやれた体力、身体の鍛錬、ケアは?
若い頃にガンガン走らされた。尋常じゃなかった。こうして下半身が鍛えられた。長くやれたのは下半身が強かったからと思っている。
Q 同じ年ですが、長く充実した仕事ができるプライベートの過ごし方は?
メリハリをつけること。ラジコンが好きですが、名古屋に居残りでいる時、暇でも仲間が試合をやっている時はやらないようにしていた。試合が終わってからやった。けじめはキッチリとつけた。
Q 若さの秘けつは?
一生懸命に練習していれば汗を掻く。それが一番。
Q 次なる目標は?
今シーズンあと3勝はしたいですね。そうすれば10勝で2ケタ勝利になります。(球団記録は杉下茂氏の211勝、これを抜けば球団最多勝投手となる)