藤井淳志選手引退会見
9月29日に今シーズンでの引退を表明した藤井淳志選手の引退会見が本日(10月5日)バンテリンドームナゴヤで行われました。
藤井淳志選手のコメント
今シーズンで16年のプロ野球生活を引退することになりました。
この16年間支えてくださったチームの関係者、裏方の方、そして温かい声援を送り続けてくれたファンの方には感謝でいっぱいです。
長いようで短かった16年間でしたが本当にありがとうございました。
引退に至った経緯は
2年契約を結んでいただいて、去年今年とプレーしていく中で、自分が動ける動けないということはあまり考慮せず、年齢を含め、チームの若い選手たちを考え、この2年でどういう状況に自分がいたかを考えて、ゆっくりと気持ちの準備はしていた感じです。
引退をするという時に、どうしようかという感じの相談をしようとは思わなかった。自分でゆっくり時間をかけて納得するとかではなく、現実として受け入れていこうという感じで引退に至りました。
この世界に入って思い描いたものと違ったことが多々ありましたし、引退の時にもっとやれたのにという気持ちが出ると聞きますが、やっぱり僕も同じでした。
もっとああしたら、こうしたら、特に落合監督の時に僕がいろんな意味で素直にというか、大人だったら、あの時に一皮むけていればと、今となっては思う所があります。
運命的に出会いを感じた監督は
僕が入団した時に落合監督だったので、この世界に入るきっかけになった方です。
あとは一番僕を輝かせてくれた方は森監督と思っています、僕が一番期待に応えられたのが森監督だったのかもしれない。
他の監督の時はこうなってほしい、ああなってほしい、こういう結果を出してほしいと思ってもらっていることに応えられてなくて、自分も歯がゆい、情けない思いをしながらプレーしてきた。
自分の中で仕事ができて、それに応えることができたのが森さんだったかなと思います。
最後の2年はどんな思い
普段接する機会のなかった若い選手と過ごす時間が長くて、若い選手たちが頑張っている姿とか、アドバイスを求められた時にきちんと対応したり、今まではプレイヤーなので、引退するまではプレイヤーですが、この2年間というのは自分がもっと早く気づいていれば、知っていればという思い、いろいろなことを経験したからこそという物、長くやっていれば若い時に気づいていればどんなに違うのかなと思うことがあったので、そういうものを若い選手に伝えることができたかなと思います。
今まではプレイヤーとして二軍にいる、一軍に自分以外の人が上がることに対しては悔しさしかなかった、でもこの3年間は、頑張っている選手、一皮むけそうでむけないけど、きっかけになったかなと思う選手が「明日から一軍に行ってきます」と言った時に悔しいというのがなく、頑張ってこいという思いがあった。
中堅の選手が二軍に来て、いろいろ話して、また一軍に呼ばれた時は本当に頑張ってこいという思いで言葉をかけたり、そういうふうになったということは、僕自身が選手としての舞台からゆっくり降りていたのかもしれない。この3年間はそれまでの13年とは違う3年間を過ごしたのかな。
豊橋のファンへ思うことは
ずっと豊橋で結果が出なくて、初めてのヒットがサヨナラホームランで、その次が逆転3ランとたまたま重なって、豊橋ですごく活躍していると言ってもらっていますが、そんなのではないです。
だけど間違いなく言えるのは僕の成績がそんなのではなくても、いろんな球場に行きましたが、一番声援を送ってくれたのは豊橋市民球場と今でも感じます。
球場全体が自分の味方でいてくれる、本当の地元で試合ができるというのはなかなかないこと、それがわかっている中で、地元の少年野球で使った球場で試合ができて、皆が応援に来てくれて本当に幸せだった。
強き時代を知る選手がまたチームを去ることに
当時の先輩たちに勝たせてもらっている中に一緒にいさせてもらった、自分が勝ちに貢献したんだと言うわけではない。
強いドラゴンズを知るみたいではなく、強いドラゴンズについていっていただけという感じ、あまりその言い回しはしっくりこないです。
後輩たちに託したい思い
今の中日の若い選手は皆さんが思う以上に可能性を秘めた選手が多い、いい空気を作って、若い選手たち、厳しさも必要ですが、厳しさの中に楽しさ、明るさがあって若い子たちが能力を発揮できるようなチーム環境を、ベテラン、中堅の選手で作ることによって、若い選手が伸びてきたら楽しみだし、強くなると思う。
最後にどんな姿を見せたい
寂しそうな姿じゃなく、藤井淳志らしいと思われるユニホーム姿でいたい。
笑えるといいな、ユニホーム最後のあいさつをしたらグッとくるかもしれない。
今は笑ってというか、能天気な明るさのままでいたい。