福留孝介選手が引退を発表

2022/9/8

福留孝介選手が本日(9月8日)今季限りで現役を引退することを発表、バンテリンドーム ナゴヤで会見が行われました。

福留選手はドラフト1位(逆指名)で中日ドラゴンズへ入団。
1999年4月2日、広島との開幕戦に2番ショートでスタメン出場、1年目から132試合に出場し打率.284、131安打16本塁打52打点の成績を残しリーグ優勝に貢献しました。

2002年から外野手へ転向し3番打者として定着、186安打を放ち、シーズン最多安打の球団記録を更新、打率.343で初の首位打者のタイトルを獲得、外野手のベストナイン、ゴールデングラブ賞にも選出されました。

2008年からメジャーへ移籍し13年にNPBへ復帰、阪神タイガースに入団し16年6月25日の広島戦(マツダ)で日米通算2000安打を達成。

2021年から14年ぶりにドラゴンズへ復帰しスタメン、代打の切り札としても活躍、10月10日の横浜DeNA戦(横浜スタジアム)で史上最年長でNPB通算2000試合出場を達成。

今季の巨人開幕戦(東京ドーム)では3番レフトでスタメン出場、開幕戦の史上最年長スタメン出場に、NPBでの通算打率は.286、1952安打、285本塁打、1078打点、24年(NPB19年)の現役生活に終止符を打つことになりました。

福留選手のコメント

本日はお集まりいただきありがとうございます。
私、福留孝介は今シーズン限りをもちまして現役を引退することを決めました。
それをこの場で皆さまにご報告させていただきます。24年間本当にありがとうございました。

引退する思いは

寂しさもある、必ず誰しもが通る道。いずれ自分にもこの時が来るのはわかっていること。
いよいよ来たなということ。

引退を意識し、決めた時期は

毎年この歳になって野球をやっている以上、常にその気持ちを持って野球をやっている。
今年最初から使ってもらって結果も出なかったし、自分の気持ちの中では早い段階だった。

体の面なのか、気持ちの面なのか、技術の面か、そのきっかけになったのは

技術はまだまだ足りないものがいっぱいあるが、気持ちの面が一番大きいです。

色々な方に相談、報告されましたか

皆さん、お疲れさんといっぱい言ってもらった。
24年間よくやったんじゃないのと言葉をかけてもらった。

家族の反応は

号泣とまではいかなったですが、泣きはしなかったけど、うちの家族らしく笑顔でお疲れさまと言ってくれた。
一番迷惑をかけたのでほっとしました。

これからは時間ができるから色々なことをしたい。普通の父親に戻れるのかな。

最初に報告した人は

歴代監督をはじめ思いつく方には真っ先に連絡しました。
日米通じて現役24年間を振り返ってこれだけ好きな野球をやらせていただいて自分の好きなように生きてきて楽しかった。

ドラゴンズに入団してから2007年までのシーズンを振り返って

優勝や色々なことを経験させてもらって、僕が24年間できたのもここからが始まり。
楽しかったという思いが強い。

首位打者のタイトルなどを掴んだが、転機になったシーズンは

2002年に内野手から外野手に転向したのが転機だった。
首位打者争い、三冠を狙う巨人松井秀喜さんとの争いだったが緊張しながらやっていたし、なかなかできないし若かった。

忘れてはならないのが2006年の優勝決めたジャイアンツ戦での決勝打

なかなかそういう場面で回ってくるということも自分の人生の中で少ないでしょうし、そういう意味ではあそこで決められたというのはうれしかった。
チームが勝ったこと、自分が打ったことよりも、チームが勝ったというのがやっぱりうれしい、その思いの方が強いです。

WBCでのホームランも

シーズン前に色々苦労していて、あまり調子が上がらない中で、本当にまわりの方々にたくさん迷惑をかけて、それでもあそこで代打で使ってもらい、運じゃないですけど、そういうものには本当に恵まれたのかなと思います。

2007年のシーズンを最後にアメリカへ

自分自身1回しかない野球人生なので、おもいきってチャレンジをさせてもらいました。
本当に球団の方にも温かく見送っていただいて、向こうに行って自分のやりたいことをやるというチャンスをいただいたので本当に感謝しています。

アメリカで5年間過ごされた経験といえば

いいことも悪いこともあって、また違った野球を自分で体感できたというのが良かったと思います。
日本では一軍、二軍の差、向こうはメジャー、マイナーの差、そういうことを言葉では聞くけど、わからない部分というのは大きいですし。
メジャーとマイナーの格差、そういう部分では日本の一軍、二軍のシステムというのはすごく恵まれてるなとか、そういうことも改めて感じますし、いろんな選手、いろんな教え方、そういうことが本当にたくさんあったので、また一つ自分の勉強だったなと思います。

その後日本に戻ってきてタイガースへ

自分でもう1回日本でやりたいという中で、タイガースを選んでやらせていただいて、日本の中でドラゴンズ以外の野球というのを知らなかったので、違うチームの野球だとか、まわりの環境だとか、そういうものを見る機会をいただいたというのは阪神タイガースの方々にもすごく感謝しています。
ただ何度も言いますが、これも僕自身がこうやってきた野球の中でのいい勉強だったなと、いい勉強を本当にたくさんさせていただいた。

最後は古巣のドラゴンズへ

やっぱりまだ自分が諦めきれなくて、野球をやりたいという中でドラゴンズが手を差し伸べてくれた。
去年、今年とで2年間ですけど、ドラゴンズのユニホームを着て野球をやらせていただいて、最後このユニホームで自分の野球人生を終わるということができたので、本当に感謝の一言です。

今季ヒットがでない中、打てたあの一本の思いは

PLの先輩であります立浪監督、開幕スタメンでも使っていただきましたし、代打でもここ一番という所、そういう中でずっと使い続けていただいたので、その中で結果を出せなかった自分にも腹が立っていましたし、本当に申し訳ないという思いで打席に立っている中で、やっと出た1本だったので自分の中で少しほっとした部分はありました。

福留選手にとって、立浪選手、監督の存在というのは

最初から最後まで憧れの存在であったことは間違いないですし、最後はちょっと力になれなかったというのも僕自身の悔しさでもあります。
立浪監督からは逆に力になれなくて申し訳なかったって言われましたが、本当に力になれなかったのは僕なので、言葉をかけていただいたというのは、本当にありがたかったです。

自分がここにこだわった、ここは誇れると思う数字は

プロに入る時に2000本という数字は何とかして達成したいと思いながらやっていました。
日米合算ではありますが、達成できたというのは、そこに関しては良かったのかなと思います。

好きで野球やってきて、本当にいろんな方にいろんなアドバイスをいただいて、それを1つ1つ自分で理解して噛み砕きながら、ちょっとずつでもいいので続けてこられたというのは・・・そのどれというわけではなく、全てのこと1つ1つを続けてこられたのは良かったのではないかと思います。

若手に対して思うこと

もっともっと、もっとと思っています。僕がこうやって今年ユニホームを脱ぐ、必ずしも誰もが通る道なので、それが早い遅い、色々ありますけど、脱いでから後悔するより、あの時もっとやっておけばよかったと思うことのないようにやってくれたらいいなと思います。

勝っていくことを経験することによって選手が成長していくということは間違いなくあると思いますし、そういう経験をどんどんできるために、今の自分に満足せずにやっていってほしいなと思っています。

若手皆楽しみです、皆本当に頑張ってほしいと思ってます。

24年間でやり残したこと

簡単に思いつかない、でももう脱ぐと決めたので、あまりやり残したと思うことはないかもしれないですね。
しっかりと自分の中で決めたことなので、もうスッキリしています。

最後はファンにどんな姿を見せたい

今少し故障してて、なんとかその故障を直して、最後に元気な姿を皆さんの前で見せられたらいいなと思ってます。

今後、野球界に対しどんな貢献を

そういうことに関してはこれだけお世話になったので、自分のできること、自分の何かを必要としていただけるのであれば、微力ながら何かやっていけたらなと思ってます。

タイガースファン、ドラゴンズファンへ一言

本当に温かく8年間、いい時も悪い時も本当にありましたけど、その中でも本当に温かく応援していただいて、最後ファンの方々に挨拶をするというか、お礼を言う機会がなかったんですが、感謝して、本当にありがとうございました。というその一言です。

ドラゴンズは本当にもう熱い地域ですし、やっぱりドラゴンズを好きな方々が本当にたくさんいて、そういう中でこうやって僕自身も野球選手として大きくさせていただきましたし。
それを温かく本当に見守っていただいたので、名古屋のファンの方々にも本当に感謝の一言で本当にありがとうございました。

大島選手らがサプライズで花束を贈呈

花束を贈られ笑顔の福留選手