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谷元圭介投手&大野奨太選手引退特設ページ

10月3日にバンテリンドームナゴヤで行われたドラゴンズ対ジャイアンツの試合は今季最終戦、引退を発表した谷元圭介投手、大野奨太選手、福田永将選手、堂上直倫選手のラストゲームとなりました。

0-2で迎えた6回表2死、ここで先発の小笠原投手に代わり谷元投手がマウンドへ、また捕手も大野奨選手に交代し、ともにファイターズからドラゴンズに移籍をした二人がバッテリーを組んで出場します。
バッテリー最後の対戦はジャイアンツの吉川尚選手、カウント2-2から最後は146キロの直球で左飛に打ち取ります。
6回裏には大野奨選手が最後の打席へ、大きな飛球を放つも中飛に。

試合後に行われた引退セレモニーではナインや家族、恩師などから花束が送られ、両選手とも涙をこらえながら最後のあいさつ、胴上げも行われ、ファンの前で最後の雄姿を披露しました。

CEREMONYセレモニー

谷元圭介投手あいさつ

本日はこのようなセレモニーを開いていただいた中日ドラゴンズ関係者の皆さま、監督、コーチ、選手、スタッフの皆さま、中日ドラゴンズファンの皆さま、そしてお付き合いいただいた読売巨人軍の関係者の皆さま、監督、コーチ、選手、スタッフの皆さま、そして最後まで残っていただいているジャイアンツファンの皆さま、本当にありがとうございました。

私、谷元圭介は本日をもって現役を引退します。

思い返せば小学生の時から野球を始め、小学校、中学校、高校、大学、社会人、プロと続けてきました。
いつも整列の時は一番前でした。当時の夢は小さく前習えをすることでした。
そんな僕が中部大学に進学し、当時の善久監督に背の小さいことを武器にしろ、その言葉で僕の野球人生は大きく変わってきました。
そしてバイタルネットに進み、当時の三富監督が夢であるプロ野球選手のためにテストを受けてこいと背中を押していただいたおかげで、今、僕はここに立っています。
本当にありがとうございました。

2008年に北海道日本ハムファイターズに入団し、2023年中日ドラゴンズで引退します。
梨田監督にはプロ野球選手になるチャンスをいただき、栗山監督には責任と自覚を与えていただき、森監督には地元でプレーする機会をいただき、与田監督には復活することをさせていただき、立浪監督には勝者のプライド、勝利への執念というものを改めて教えていただきました。
本当にありがとうございました。

534試合、154ホールドは僕を使ってくれたこの5人の監督のおかげです。本当にありがとうございました。

いま、これを聞いている、見ている背の小さな少年少女、全ての野球人へ、夢を諦めないでください。夢は叶います。応援しています。
ここで家族にお礼を言わせてください。オヤジ、プロに入るときセレモニーをしてもらえるような選手になれと言っていました。俺、やってもらったよ。そして、おかん、丈夫な身体に産んでくれて本当にありがとう。
いつも試合に招待しても、僕が登板すると席を立って試合を見ていなかったそうですね。
今日ぐらいは、見ていてくれたらいいなと思います。
そして妻へ、あなたの笑顔に救われていました。引退すると報告したときは笑顔で本当にやめるの?と言いましたね。
でも翌日、新聞の記事を見て涙したと聞き、一緒に戦っていてくれたんだなと思いました。本当にありがとう。

そして野球と出会い、野球を通じ、僕と出会ってくれた全ての人に感謝します。ありがとうございました。
最後になりますが。15年間、本当に暖かいご声援ありがとうございました。

大野奨太選手あいさつ

北の大地でプロ野球人生をスタートし、北海道日本ハムファイターズの温かなファンの皆さまに育てていただきました。
そして小さな頃からの夢であり、憧れでもあったブルーのユニホームを着てグラウンドに立ち、このドラゴンズのユニホーム姿で引退することができる私は本当に幸せ者です。

もっとうまくなりたい、もっと勝ちたいという一心で15年間戦って参りました。
そんな日々に今日、ピリオドが打たれます。15年間、支え応援してくださったファンの皆さまがいたから、今日私はここに立てています。本当にありがとうございました。

改めて感謝を伝えたい方々がいます。
9歳から野球を始め、辛く逃げ出したいとき、いつでも帰ってきてもいいから、自分らしく頑張ってきなさいと、背中を押し見守ってくれましたね。
その言葉を胸に、今日までやりきることができました。お父さん、お母さん、ありがとうございました。

いつどんな時も、すぐそばで支えてくれた妻へ、ありがとうの言葉では伝えきれることができないほど深く感謝しています。
ここ数年、思うような結果が出ない中、あなたのポジティブな言葉が私を前向きにさせてくれました。
あなたの存在がどれほど大きかったことか。本当にありがとう。

愛する子どもたちへ、パパ、今日も頑張ってねと、毎日笑顔で送り出してくれましたね。
いつまでもパパの一番のファンでいてくれてありがとう。最後までパパの夢を応援してくれてありがとう。
これからは、みんなの夢を一緒に叶えましょう。

最後になりますが、本日セレモニーを開催してくださったドラゴンズ関係者の皆さま、立浪監督、ジャイアンツ関係者の皆さま。
お越しくださった中日、ジャイアンツのファンの皆さまに感謝を申し上げます。

これまで、私の野球人生を支え、指導してくださった恩師、監督、コーチの皆さん、一緒に戦ってくれたチームメイト、そして全てのプロ野球ファンの皆さま、15年間、本当にありがとうございました。
幸せな15年間でした。ありがとうございました。

谷元圭介投手は2008年のドラフト会議で7巡目指名を受け北海道日本ハムへ入団。
2009年4月18日の西武戦(西武ドーム)で6回裏に登板し、2イニングを無失点に抑えてプロ初勝利、主に中継ぎとして活躍し14年から3年連続で50試合以上に登板、2016年は大野奨太選手とともにリーグ優勝に貢献すると、広島との日本シリーズでは第6戦の9回裏に登板し、胴上げ投手にもなりました。
2017年のシーズン途中にドラゴンズへ移籍、2019年から2022年まで4年連続で30試合以上に登板、ランナーのいる状況からと、ピンチの場面からの登板が多かったものの2019年に12試合連続、2020年に13試合連続、2021年に16試合連続で無失点を記録、2022年7月18日の横浜DeNA戦(バンテリンドーム)で通算500試合登板を達成しました。

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2009 日本ハム 24 0 8 0 0 0 2 0 0 3 1.000 127 98 27 2/3 25 4 21 20 18 17 5.53
2010 日本ハム 14 0 4 0 0 0 1 2 0 2 .333 68 62 15 2/3 18 2 5 12 10 10 5.74
2011 日本ハム 47 0 16 0 0 0 1 2 0 5 .333 199 173 47 1/3 51 4 18 45 13 13 2.47
2012 日本ハム 28 0 2 7 0 0 2 2 0 7 .500 257 233 61 1/3 61 3 17 39 24 24 3.52
2013 日本ハム 31 0 5 13 0 0 6 6 1 3 .500 388 339 89 1/3 92 10 42 53 45 39 3.93
2014 日本ハム 52 0 8 0 0 0 5 1 1 12 .833 260 231 68 41 4 21 63 14 12 1.59
2015 日本ハム 61 0 3 0 0 0 4 2 0 20 .667 241 218 56 2/3 54 0 18 47 21 20 3.18
2016 日本ハム 58 0 5 0 0 0 3 2 3 28 .600 206 183 50 1/3 41 4 17 44 14 13 2.32
2017 日本ハム 36 0 4 0 0 0 0 2 1 21 .000 141 120 32 2/3 26 3 17 24 15 12 3.31
2017 中日 18 0 7 0 0 0 0 1 0 6 .000 80 71 18 20 4 6 14 12 12 6.00
2018 中日 8 0 2 0 0 0 2 0 0 1 1.000 56 51 9 2/3 22 2 3 8 20 16 14.90
2019 中日 38 0 4 0 0 0 0 1 0 13 .000 143 114 29 1/3 31 2 26 24 17 17 5.22
2020 中日 36 0 6 0 0 0 1 3 0 13 .250 122 104 30 20 3 13 21 13 12 3.60
2021 中日 32 0 4 0 0 0 1 1 0 14 .500 92 88 22 1/3 23 3 2 18 6 5 2.01
2022 中日 34 0 9 0 0 0 0 0 1 6 .000 134 118 31 30 3 12 21 9 9 2.61
2023 中日 7 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .000 28 19 5 1/3 5 1 6 2 8 5 8.44
通算 15年 524 0 88 20 0 0 28 25 7 154 .528 2542 2222 594 2/3 560 52 239 455 259 236 3.57

大野奨太選手は2008年のドラフト会議で1巡目指名を受け北海道日本ハムへ入団。
3回のリーグ優勝と2016年の日本一に大きく貢献し、2015年には大谷翔平投手(現エンゼルス)と最優秀バッテリー賞を受賞、2016年にはゴールデン・グラブ賞も獲得しました。
2017年オフにFAでドラゴンズへ移籍、1年目の2018年は63試合に出場しますが翌2019年は34試合に、その後はケガの影響もあり出場試合数が減少、球界最年長捕手となった今季も2軍での調整が続きましたが、若手選手の手本となりながら試合、練習に取り組み、ともに汗を流していました。

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2009 日本ハム 77 154 19 32 9 0 3 50 15 0 0 5 0 10 43 2 .208
2010 日本ハム 87 183 20 42 8 0 4 62 16 1 0 13 0 20 36 5 .230
2011 日本ハム 102 242 25 55 11 1 3 77 17 0 1 8 0 22 44 4 .227
2012 日本ハム 70 140 7 24 4 0 2 34 11 0 2 9 0 10 30 2 .171
2013 日本ハム 87 201 20 52 13 0 3 74 19 0 0 15 0 28 35 3 .259
2014 日本ハム 105 259 16 45 10 0 6 73 19 0 0 19 2 24 52 6 .174
2015 日本ハム 74 155 10 30 8 0 0 38 10 1 0 8 0 17 29 6 .194
2016 日本ハム 109 282 26 69 13 0 5 97 35 1 0 31 0 38 63 6 .245
2017 日本ハム 83 154 13 34 5 0 3 48 13 0 1 8 1 20 30 1 .221
2018 中日 63 137 9 27 4 2 2 41 10 0 0 9 0 21 31 2 .197
2019 中日 34 53 6 9 1 0 0 10 3 0 0 3 1 5 9 2 .170
2021 中日 8 14 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 5 1 .143
2022 中日 8 17 2 5 0 0 0 5 0 0 1 1 0 3 4 0 .294
2023 中日 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 15年 908 1992 174 426 86 3 31 611 168 3 5 129 4 219 411 40 .214

INTERVIEW引退会見

谷元圭介投手、大野奨太選手が今季限りで現役を引退することを発表、バンテリンドーム ナゴヤで会見が行われました。

谷元圭介投手

本日は朝早くからお集まりいただきありがとうございます。
私、谷元圭介は今シーズン限りで引退することを決意しましたので、皆さまに報告したいと思います。

15年間お疲れさまでした。現役生活が終わろうとしている今、どのような気持ちですか?
色々な方や家族に相談し進めていく中ですごく悩みましたが、今はすっきりしています。
現役を続けたいという気持ちはあったが、現状の自分の力を考えた時にちょっと厳しいと思いました。
皆さんからは、その体で15年間もプロ野球選手としてよく頑張ったねと言っていただきました。僕自身もよくやったなと思います。

15年間で523試合の登板を振り返って。
500試合というのは僕の中でのひとつの目標だったので、達成できてよかったと思いますが、もっともっと投げたかった。岩瀬さんが1002試合だったので1試合でも近づけられるように頑張りたいなと思っていましたが無理でした。

523登板、154ホールド、通算12位ですが?
1試合1試合、チームのために投げたその積み重ねがその数字になったと思うのでよくやったかなと思います。

入団テストを受けてドラフト7位からのスタートですが?
ドラフト7位で入り、テストで入り、入ればなんとかなると思っていたので、そこからは少ないチャンスでしたが、はい上がってやろうという気持ちをすごく持っていた。

1年目からいきなり24試合というスタートになりましたが?
社会人出身ということもあり、そんなに悠長に何年も待ってもらえないと思っていましたので、1年目から結果を出そうと思い、過ごしていた。

北海道日本ハムファイターズ時代に、先発も経験していたが?
2012、13年先発でやっていた時の経験がその後の中継の成績に大きく反映したので、先発やってよかった。
中継ぎでたくさん投げることへのステップになったと思う。
僕の性格的には中継ぎの方が向いているのかなと。

年間30試合以上の登板が15年間で10回、フル稼働の野球人生だったと思うのですが。
大きな怪我もなく、強い体に産んでくれた母親、強い精神面で鍛えてくれた父親に感謝したい。
小さい体については、僕自身はこの身長でしか生きてきてないので、体が大きい選手の方が有利かもしれないが、ただ中途半端に大きくなく小さいので、小さい体も武器になったのかなと。

後輩に伝えたことは?
今までの経験は山本拓実投手に伝えました。

背中を見て後輩たちにはどんなことを感じて欲しいか。
北海道日本ハムファイターズ時代、優勝も日本一も経験させてもらって充実していました。
今のドラゴンズの選手たちには勝って、ビールかけ、優勝旅行を経験してほしい。

最後はどんなピッチングをしたいですか?
一球一球噛みしめながら投げたい。泣くかもしれないです。
悔いがないと言えば嘘になるがやり切ったのでスッキリしています。
ドラゴンズに来てから色々な仲間が集まっていたが、人見知りタイプなので話しかけてくれたり支えてくれてありがたかったです。先輩方のおかげで今の僕があるので、本当に感謝しています。

地元のドラゴンズで最後を締められる気持ちは?
小、中、高校と三重、大学も愛知なのでみんなが見に来てくれてよかった。

ファンの皆さんにメッセージ
15年という短いようで長いような夢のような15年間でした。
北海道日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズのファンの皆さんの声援が僕の力になりました。
ドラゴンズに来てからはあまり活躍できませんでしたが、少しでも何かの力になったり役に立てればプレーヤーとしてはいいかなと。長い間ありがとうございました。

大野奨太選手

本日はこのような場を設けていただきありがとうございました。
私、大野奨太は今シーズンをもって引退させていただくことを決断させていただきました。
球団関係者の皆さん、また今まで支えてくださった皆さまにこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

15年の現役生活が終わる今の気持ちは?
決めてからまだ数日しか経ってないのでまだ実感はありませんが、自分の中で悩み抜いて決断した結果なので、最後、終わる時にはすっきりしているんじゃないかなと思っています

引退すると決めたいきさつは?
キャッチャーとして、僕は常に投手を助けることが仕事だと思ってやってきた、その中で助けられる能力が自分の中で落ちてきた部分と、選手たるもの常に自分が一番だと思ってプレーをしてきたので、この何年か二軍の生活をさせていただいた時、若い選手と共にやらせていただいて、どこかでその選手を応援する自分がいた。そうなってしまっている以上これから現役を続けていくことは厳しいのではないのかなと、自問自答している時期があったので、今回しっかりと決断することができたのではと思います

大学からプロに、1年目から試合に出て何を考えどんなプレーをしていた?
常にピッチャーのことを考えて、ピッチャーのために何をしていくことが最善の策なのかと考えながら戦ってきました。1年目はガムシャラに突き進んだなとしか思ってないので、その中でいろいろ学ばせてもらった。勝つ喜びや、たくさんの失敗もしてきました、その失敗から次にどうやっていかしていけばいいのかということも学ばせていただきましたし、北海道日本ハムファイターズ時代はそういう時代を過ごさせてもらった

ダルビッシュに大谷、世界に羽ばたく投手とプレーしたことについて
ダルビッシュは同級生ですし、中学校時代から有名な存在でもありました、そういう選手と共にバッテリーを組めて、野球ができたことは僕の中でとてつもない財産です。(大谷)翔平も向こうで頑張っている姿を見ると、本当に僕とバッテリーを組んでいたのかな?というぐらいすごい選手になっていますし、本当に 2人と組めて一生の思い出、とてつもない財産なのかなと感じています

日本代表にも選ばれ、タイトルもとり、オールスターでも活躍、いろいろな経歴を振り返って
たくさんの方に恵まれて自分があると思っている、優勝を経験できたことも、たくさんのチームメイトと一緒に野球をすることでできたことだと思っている、決して自分の力と思えていない、そういう方々と出会えて野球ができたことに本当に今は感謝しています

ドラゴンズにきて
苦しい時期もたくさんありましたが、やっぱり小さい頃から憧れて大好きだった。このユニホームを着て野球ができ、僕の中では両親の一番近いところで最後、野球をしたいと思っていたので、その夢を叶えていただけたことに本当に感謝しています。
最後にもっといい姿で両親に恩返しできたらなと思いましたが、こうやってこの場所に座ることが両親への感謝かなと、恩返しかなと思っています

ケガもあり二軍での生活が続く中、苦しさというのは?
苦しかった時期もありますが、また違った観点で野球を見ることができました。若い選手と一緒に泥まみれになって野球やっている自分が面白かった自分もいた、そういう面でとてもいい経験をさせてもらいました。この何年かは今後に必ず生きてくる時間だったと思うので、この時間をとても大切にしながら毎日過ごしました

15年間を振り返って一番印象に残っているものは?
雄大がノーヒットノーランを達成した時、僕は途中から、6回から出させていただいたんですけれど、なかなかノーヒットノーランという状況で渡される事はめったにない状況だったので、あの時はかなり神経を使いましたし、途中あまり覚えてないのですが、本当に何と言うか、プレッシャーの中戦ったなというのが強く印象に残っています

ピッチャーを助けるというポリシーでは最たるものだったのでは?
あそこまで頑張ってきた雄大を何とかもたせたことは僕の中では良かったかなと思います。
もちろん1回から5回まで加藤捕手が守ってきて、耐えてきた部分にバトンタッチしたこと、でもチームにとってもいい影響を与えなきゃいけないと思いましたし、勝つということが一番だと思ったので、その勝ちに結びつくことができよかった

引退を決断するにあたって仲間たち選手たちにどう声をかけた?
会えた選手とまだ会えていない選手がいて、短い期間の選手もいますし、長い期間の選手もいますが、後輩だったら本当お世話になりましたとか、先輩だったらよく頑張ってくれたねとか、これからもいろいろな道があると思うから、その道を頑張ってください、という話はいろいろな選手からさせていただきました

監督、コーチ、首脳陣、これまでお世話になってきた恩師には?
恩師の方々にはプロ野球選手になる前からいろいろなことを教わり、今でもずっとファンでいてくれるので、恩師の方々にはしっかりと引退させていただきますという報告をさせていただいた。自分の中でそういう方々と出会えたことが、このプロ野球生活になっていると思うので、本当にありがとうございましたという感謝の気持ちを伝えさせていただきました

家族にはどのような報告を?
一番最初に相談したのが家族だったので、どちらに転んでも応援するから自分で決めて、その道を進んでくださいという話しをされた。正直、家族はまだユニホームを着ている姿を見たかったと思うのですが、自分の中で決断をして、15年お疲れ様でしたと話しをさせていただきました

両親には
小さい頃から自分の時間を犠牲にして野球をやらせていただいたので、その頃から支えてくれてありがとうございましたと

どのような言葉が返ってきましたか?
お疲れ様と、本当にいい夢を見させてくれたと話をしていただきました

移籍をして近くで野球ができたことは
僕にとっては最大の親孝行なのかなと思っていましたし、両親も近くで野球を見ることができて喜んでくれたので、本当に良かったかなと思います

チームに残っている後輩たちにメッセージは?
みんな必死にやっていますし、何か見出せるものはないかとか、勝ちたい気持ちでやっていますので、そこの気持ちは今後変わらずどんどんやっていってほしいなと思います。もう一つ言うのであれば、やっぱりチーム一丸となってこの1勝を取るという気持ち、全員が束になって戦う姿をもっと前面に出していくことがいい方向につながっていくのではと思うので、より一層そういう姿を見せてほしい

今後は
このようにたくさん経験させていただいたものを、これからの未来の子供たちや、何らかの形で選手にも伝えていけることができるのであれば、そういう道へ進んでいきたいなと思っています。決して自分がやってきたことが全て正解だと思っていないので、これからもたくさんのことを勉強しながら、もっといろいろなことがあるだろうし、もっとうまくなる選択肢もあるだろうし、そういう選択肢を自分の中でも広げていけるようにやっていけたらいいなと思います

ファンの皆さんにメッセージ
北海道日本ハムファイターズ時代からこのドラゴンズに移籍をしてきて本当に変わらず、応援してくださったファンの皆様がたくさんおられたので、僕の中では本当に力になりました。こうやって応援してくださる皆様がいなければ、ここまで自分も頑張っていけなかったと思うので、本当に15年間支えていただいてありがとうございました