初優勝1954 中日ドラゴンズ天知俊一監督(8月撮影)
中日-洋松 16回戦 1回裏一死後、杉山悟の14号ホームランに本多逸郎、井上登と相次いで3者ホームイン=中日球場で(8月11日) 初のセ・リーグ優勝で天知俊一監督を胴上げする歓喜のドラゴンズナイン=中日球場で(10月12日)
中日ドラゴンズ・ベストナイン 左より杉下茂、岡島博治、井上登、河合保彦、杉山悟、児玉利一、西沢道夫、原田徳光、本多逸郎=中日球場で(10月30日)
日本シリーズ第1戦 中日-西鉄 日本シリーズ開会式 プラカードを先頭に入場するドラゴンズナイン=中日球場で(10月30日)
日本シリーズ第1戦 中日-西鉄 8回裏、児玉利一の左中間2ランホームランで1塁走者西沢道夫は満面の笑みをたたえて三塁コーチ天知俊一監督と喜びの握手。左後方が殊勲の児玉=中日球場で(10月30日)
日本シリーズ第7戦 中日-西鉄 中日優勝、西鉄を完封した杉下茂投手を抱きかかえて引きあげる三富恒雄投手(左)、西沢道夫選手(右)=中日球場で(11月7日) 日本シリーズ第7戦 中日球場で日本一を決め感激に泣く天知俊一監督を胴上げするドラゴンズナイン(11月7日)
中日新聞社発行 中日ドラゴンズ70年史より 1954年の出来事
1月14日 球団は役員会を開き、社名を(株)中部日本野球協会、球団名を「中日ドラゴンズ」と改称。球団旗は白地に中日新聞社のマークを左上に赤色に抜き、“DRAGONS”の横書きと制定した
1月30日 株主総会で代表取締役会長の千田憲三(名鉄)が辞任し、後任に小山龍三、常務取締役に平岩治郎、中村三五郎(中部日本新聞社)が就任
2月1日 奈良県春日野球場でキャンプを開始 米大リーグのオドールとディマジオがセ・リーグ共同コーチのため来日。ディマジオは妻のマリリン・モンロー同伴
2月4日 プロ野球実行委員会は高橋球団のパ・リーグ加盟を承認
2月5日 福井コミッショナーは、米軍に勤務中の選手の採用は自粛するように両リーグに通達
2月18日 オドール、ディマジオ、ブラウンが奈良の中日キャンプを訪ねコーチした
2月25日 中日スポーツ発刊
4月3日 福井コミッショナーは任期満了のため辞任。コミッショナー空位となる セ・リーグ開幕(パは3月27日開幕)
5月31日 平和台球場のナイター設備完成
6月13日 川崎球場の夜間照明が完成
7月3日 第4回オールスターゲーム開幕
7月25日 阪神-中日戦(大阪球場)でファンが球場に乱入し、放棄試合が宣告された
8月18日 日本ワールド・シリーズを日本選手権シリーズと改称
8月31日 NHKが中日球場の中日-巨人戦をテレビで初中継した
10月19日 中日ドラゴンズは3年ぶり復帰の天知俊一監督の好指導でセ・リーグ初優勝。東京遠征の車中に来た電報で優勝を知る。杉下茂は最高殊勲選手、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振投手に
10月26日 セ・リーグ閉幕。名古屋市内をパレードしたあと、中部日本新聞社で祝賀会を開催
10月29日 パ・リーグ閉幕
10月30日 <日本シリーズ>中日-西鉄の第1戦が中日球場で行われる
11月7日 日本シリーズ第7戦(中日球場)で中日は西鉄ライオンズを1-0で破り、通算4勝3敗で日本一の王座に
12月4日 高橋球団がトンボ鉛筆と提携し、トンボ・ユニオンズと改修
12月11日 松竹は大洋松竹球団の経営から退き、大洋は翌1955年から大洋ホエールズと改称。本拠地は川崎と決定
この年の主な出来事
第五福竜丸がビキニ環礁で米水爆実験の灰を浴びる 自衛隊発足 第36回全国高等学校野球選手権大会で中京商業(現 中京大中京)が優勝 「空手チョップ(プロレス力道山)」「死の灰」「ゴジラ」が流行語に 「二十四の瞳」「ローマの休日」「七人の侍」の映画上映
日本シリーズ第7戦 中日-西鉄 杉下茂の好投で1-0の完封勝利となり、堂々と日本選手権に優勝、感涙にむせぶ杉下投手(矢印)をかかえてファンの声援に応えるドラゴンズナイン=中日球場で(11月7日)
優勝パレードで沿道に手を振り声援に応える(左から)西沢、服部、野口選手=名古屋市中区栄付近で(11月8日)